きりすさい ta mani nee日記

日々のことや乳がん治療のことなど

乳がん手術後~退院まで

入院2日目の朝、手術開始が午前10時からと決まり、看護師から手術用の服と靴下を渡された。横ボタンの数が多い(簡単に脱げる)淡い水色の手術着に白いハイソックス(加圧)。普段と違う装いの自分に、これまた写真に残したい気持ちになり、鏡越しに撮影。ちょっと自撮りも慣れてきた感じ。

コロナ禍だから見舞い厳禁だが、手術日だけは付き添い1名可能で、母に来てもらった。昭和16年生まれの母。
部屋に入るなり、手術服の私を見て母は、「いやぁ、かわいい、写真撮ったろか?」と一言。「もう撮ったからいい」と返したけど、一応、手術控えてる身なんだけど、、何その陽気な対応は、、。私の能天気な気質は、母譲りだと納得。確かに真白いハイソックスに、幼稚園のスモッグみたいで、母には可愛らしく見えたんだろう。50才の娘でも。

手術室に入るときは、かなり緊張していた。といっても受け身でコトは進むから、麻酔後はまったく自覚ないし、同日夜にはメールできる位回復してた。
術後2日目の晩は痛みがあって、その日だけは痛み止めを飲んだが、シャワーもひとりで行けた。切るのが胸と脇だけだから、胃とか他の部位の手術とは違い、回復も早いのか、と思う。

手術の2日目、胸の傷からにじむ血が止まってきたので、それまで傷痕を見ずにいたけれど、そろそろ見てよいかな、、と風呂上りの鏡に映る自分に目を向けた。(えっ?そんな変わりないやん。前と。)というのが第一印象。これは元々、胸のふくらみがあまりないからなのか?、傷があるだけじゃあないですか、10センチほど、脇と胸、2ヶ所に。こんなだったら、自分としては悪くないなぁ、むしろ、薄ぺたくて、なんの主張もなかった私の胸が、丸尾末広的な感じで個性でたのでは…、なんて思ってた。…でも、大好きな銭湯には当分いけないだろう。そこは仕方ない。
術後の胸も、ビフォーアフターとして、写真におさめた。

…にしても、振り返ると入院生活は快適だった。私は、恋愛対象は男性だが、眼の保養の対象は女性なので。看護師さん、理学療法士さん、どの方も素敵でやさしかった。看護師さん…「お胸,見ていいですか?」、「お胸、失礼しますね」、【お胸】…と胸に敬称がつく。

術後3日目の土曜日に、持参したラジオから、推しの曲が流れる稀有な事態があり(数年に一度❔ホントに滅多にかからないので…)歓喜して心臓の鼓動が早くなった。その直後に看護師さんが入室したとき、血圧の数値が異常に高かったから「何かありましたか?」、と心配された。乳がんのことで悩んでいる、と勘違いされたのかもしれない…、ほんとは浮かれた理由なんだが、言うのも恥ずかしく焦ってしまった、が、嬉しい偶然だった。
術後は精密検査を終えて…まあ、あとは抗がん剤治療をすることになるわけで。

私の父は、既に末期だったからか、<抗がん剤先に立たず>、などと言って、治療拒否してた(真偽は不明)、ということを風の噂で知ったけど、、私は一般的な治療を受けることにした。

退院の日、病院から一歩出ると、商店街から見上げた空がすっきりと青かった。