きりすさい ta mani nee日記

日々のことや乳がん治療のことなど

ウイッグ終了す(^o^

あ、た、ま、がクラクラくるくるだ、よ〜♪

モダンチョキチョキズの歌詞のような髪型ではありますが、ウイッグ、やっとやめれた。かれこれ約2年かな?

ストパーや縮毛矯正はしなかった。くるくるチリチリの髪だけど、完全に抜けたつるつる頭皮から、頑張って生えてきた毛かと思うと、くるくるさせたままにしてあげたい、というか。。この2年、ウイッグによる偽美髪でいたから、本来の自分で生きたい、というか。。

 

今んところ、朝に洗髪、ドライヤーしてから、ワックス仕上げで出勤してる。これ、雨の日はかなり爆発ヘアになるのか、まだわかんない。

カチューシャとか、前髪ピン留めする、などの工夫が要りそう。まあ、少しずつ慣れてこ〜

 

外で風が吹いても、ウイッグを手で抑えなくてもよいのは、やっぱり気が楽なんですよねぇ。

ありがたいことだな。。

 

 

 

抗がん剤治療後、ウィッグいつやめるか問題

抗がん剤治療によりウイッグをつけはじめてから1年が経ち、今では装着にかける時間は5秒位。もう、出かけるときに、少しくらいズレてても気にしない(いい事ではない)。


つけ始めは要領を得ず、やたらとおでこを見せてしまい、オンザマユゲ前髪になってた。ふたつ目の購入時に、サロンで改めてつけ方を教わってからは、かなり自然な感じになってきて、気に入ってる。当然だが白髪は生えないし、寝ぐせもないので、すごく便利なアイテムと思う。


とはいうものの、耐久期間の関係で半年で買い換える必要があるし、強風の日の外出時は、できれば知人に会いたくない。。抗がん剤治療終えて5ヶ月が過ぎ、プロゴルファー猿程度には毛も生えてるし。いっそ超ベリーショートにしてしまい、ウイッグの手入れなくスッキリした日々をおくりたい〜…と希うようになった。


思い立って、中津路地奥にある美容院を訪れた。プライベートサロンなとこだから、ヅラ外すのも平気。髪を染めたことないのに、オリーブ系に染めたい、など望みを伝えた…が、まだウイッグをやめるには早かったらしく、、。よく調べもせずに行ったからだな。もっと伸ばしてから切ることを勧められた。髪が直毛ではなくなっていることも一因で。丁寧なカウンセリングのあと、カットせずに帰った。


リハビリで理学療法士の先生に訊くと、治療後=坊主頭になったあと、一年以上ウイッグを継続する人が多いらしい。ウイッグは続けたまま、伸ばしながらカットを数回続け、ウイッグ終了!、の流れが多いそう。それでもショートヘアで前髪は短めとか。。

となると、トータルで2年近くもウイッグ生活をすることになる。長いなぁ、、 


それから2ヶ月経ち、頭髪はさらに1㎝ほど伸びたが、元は真っ直ぐだったのに、うねりのあるくせっ毛になっており、実写版サザエさんが頭焦がしたみたいなスタイルだ。


暖かくなる頃には、自毛で過ごせるだろうか。


そんとき、あたま撫でてもらうと嬉しいかもしれない。推しに。

 

 

毛と爪のこと〜抗がん剤治療(乳がん〕〜

私は毛深い。なので以前から、全身脱毛したら体重2キロ位減るんじゃないか、と思ってた。この度、抗がん剤治療の副作用において、身体中の毛という毛が殆ど、私の皮膚から消えていったけど、そうはならなかった。たいした重量はなかったのだな。

 

頭髪が抜けるのは避けられないときいたので、ウイッグを抗がん剤治療開始と同時に用意した。ウイッグを手に入れた次の日、母に髪をバリカンで刈ってもらった。ウイッグの中で毛がどんどん抜けるのもヤダし。。

 

そんとき、鏡に写った散切り頭の自分をみて、ユーリズミックスの『THERE MUST BE AN ANGEL』…ダラルラルラルラ〜♪(適当)がうかび、あんな風にベリーショートが似あう美人はええな〜、と思ってた。

 

まあ、頭髪はパクリ3回目を境にごそっと抜けていき、次第に、人に見えるとこや見えないとこも抜けていった。面白いのが、生えてる場所によって、抜け方が違うんですよね。手指の毛はしぶとく残ってたな、治療中も。抜けてくれていいのに。


眉毛はパクリタキセルのときはあまり抜けなくて、EC療法になってから抜け始めた。まつ毛は眉毛に遅れること2週ほどか、これも、髪の毛と違い、徐々にぬけるので、抗がん剤治療最終週に、右目の上まぶたにまつげが1本だけ残ってる状態になり、なんか、笑えた。枯れ木にのこった1枚の枯葉のよう。。

 

そして抗がん剤治療が終わり、次の放射線治療に移るときに、まつ毛も1本残らず抜けたんだけど、そのあと1週間も経たないうちに、副作用がぬけたのか、両まぶた上下にビシッとまつ毛が生えた。2ミリほど。自分の毛力(けぢから)を感じられてうれしかった。

 

爪のことはまた今度にします。

 

Eurythmics - There Must Be An Angel - YouTube

 

いろいろと治療が終わったので。

f:id:kiris_sai:20211231125712j:plain2020年10月に乳がんの手術をしたあと、抗がん剤治療がはじまって、パクリタキセルを週に1度×12回、エピルビシンを3週に1度×4回の点滴を行った。


パクリのときは、手をアイスグローブに入れて冷やしながらの点滴だった。冷やすことで手足のしびれなどの副作用を抑える効果があるらしい。薄い綿の手袋を先につけてから、顔よりもでっかい青色の冷凍手袋をはめる。両足も、保冷剤を7個ずつ入れたお弁当用袋で冷やしてたな。なので、手が自由に使えなくて、スマホも本も手に取れない状態になり、ただじっと空を見つめる時間が過ぎる。商店街にある病院の4階の窓から見える、青空と雲の流れ。テレビ、スマホ諸々から強制的に離される、ある意味快適な空間ともいえる。歯医者みたいなユルいBGMもないし。こんなとき、短歌でも浮かぶ脳なら良いのにな…、と思いながら、なに考えておったのかな、私。推しへの妄想か。まあ、ライブ系の妄想やな。コロナ禍やったし。2時間も身動きせずにお空を見るなんて、旅先でもしないんじゃなかろうか。

 

乳がん友だちがいないし、ネットでの情報収集もあまりしないので、他の人のことはわからないが、思い返すとパクリタキセルって、ハイになったよな。衝動的に歩きたくなって、治療後は3〜4時間位、ほぼ毎週散策してた。それも、どこ歩いてるかもわからずにあてもなく…、たどり着いた淀川の橋を渡ったりしてたな。。エピルビシンのときは、副作用により、ほっつき歩くほどの元気はなかったけど、それでも、少々味覚異常でも、なんとか自分が食べられるものを…、という欲求に導かれて、甘酒やカスクートを買いに寄り道はしてた。

 

当時、仕事は継続してたから、常に頭の中では「しれてる」という言葉で、副作用の症状を片付けてた。「こんなくらいか、しれてるわ」という感じ。多少気持ち悪いが、薬で吐き気が抑えられるし、電車にものれる。歩ける。どこかが極端に痛いわけでもない。「しれてるやん」、、ダメージがなかったわけではもちろんなかったけど。特にEC療法になってからは、思考能力が極端に下がったように感じた。身体も重かった。あと、顔のシミや吹き出物とかは、嬉しくなかったなあ、全く。そう、ECの途中から、リンパ浮腫が発症したし…。(現在もリハビリ中)

 

まあ、その後の放射線治療も特に問題なく終わり、いまは、頭髪がプロゴルファー猿ほどに生えてきて、放射線による胸の日焼け的なところも、だいぶ落ち着いてきた、夏の終わり頃なんであります。

爪と髪のこと。。

乳がん抗がん剤治療がEC療法になってから、手と足の爪が黒ずみ始めた。爪の表面をよく見ると、全体的にどす黒いのだが、爪のつけ根に並行して、薄い肌色の筋が4ミリ程の感覚で、数本ある。そうか、この線…の期間は副作用があまりなかったんだ。だから黒くないのだろうね。まるで、地層で過去の地震の時期が判るようだな、と思う。ECは3週間に1回だったから、2週間ほどは薬の副作用があって、爪が黒くなり、その後の副作用がない期間だけは爪が黒くならずに0.5ミリ程伸びて、白い線として見えてるのではないか。。。

この澱んだ色の爪も、抗がん剤治療が終わると4〜5ヶ月ほどで元に戻る。でも爪のケアはやっぱり大事。治療終わった、と油断してたら爪割れたり剥がれたりするので。。

 

あとは髪の毛ね〜。髪が抜けてから、冬場は頭が寒くて帽子かぶって寝ていた。それまで頭髪薄い人に、これといった関心はなかったけど、髪がなくなってから、通勤時に薄毛のおじ様とかみると、勝手な仲間意識が生まれていた。「頭寒いよね〜」、と心のなかで呟いたりして。。

乳がん手術後~退院まで

入院2日目の朝、手術開始が午前10時からと決まり、看護師から手術用の服と靴下を渡された。横ボタンの数が多い(簡単に脱げる)淡い水色の手術着に白いハイソックス(加圧)。普段と違う装いの自分に、これまた写真に残したい気持ちになり、鏡越しに撮影。ちょっと自撮りも慣れてきた感じ。

コロナ禍だから見舞い厳禁だが、手術日だけは付き添い1名可能で、母に来てもらった。昭和16年生まれの母。
部屋に入るなり、手術服の私を見て母は、「いやぁ、かわいい、写真撮ったろか?」と一言。「もう撮ったからいい」と返したけど、一応、手術控えてる身なんだけど、、何その陽気な対応は、、。私の能天気な気質は、母譲りだと納得。確かに真白いハイソックスに、幼稚園のスモッグみたいで、母には可愛らしく見えたんだろう。50才の娘でも。

手術室に入るときは、かなり緊張していた。といっても受け身でコトは進むから、麻酔後はまったく自覚ないし、同日夜にはメールできる位回復してた。
術後2日目の晩は痛みがあって、その日だけは痛み止めを飲んだが、シャワーもひとりで行けた。切るのが胸と脇だけだから、胃とか他の部位の手術とは違い、回復も早いのか、と思う。

手術の2日目、胸の傷からにじむ血が止まってきたので、それまで傷痕を見ずにいたけれど、そろそろ見てよいかな、、と風呂上りの鏡に映る自分に目を向けた。(えっ?そんな変わりないやん。前と。)というのが第一印象。これは元々、胸のふくらみがあまりないからなのか?、傷があるだけじゃあないですか、10センチほど、脇と胸、2ヶ所に。こんなだったら、自分としては悪くないなぁ、むしろ、薄ぺたくて、なんの主張もなかった私の胸が、丸尾末広的な感じで個性でたのでは…、なんて思ってた。…でも、大好きな銭湯には当分いけないだろう。そこは仕方ない。
術後の胸も、ビフォーアフターとして、写真におさめた。

…にしても、振り返ると入院生活は快適だった。私は、恋愛対象は男性だが、眼の保養の対象は女性なので。看護師さん、理学療法士さん、どの方も素敵でやさしかった。看護師さん…「お胸,見ていいですか?」、「お胸、失礼しますね」、【お胸】…と胸に敬称がつく。

術後3日目の土曜日に、持参したラジオから、推しの曲が流れる稀有な事態があり(数年に一度❔ホントに滅多にかからないので…)歓喜して心臓の鼓動が早くなった。その直後に看護師さんが入室したとき、血圧の数値が異常に高かったから「何かありましたか?」、と心配された。乳がんのことで悩んでいる、と勘違いされたのかもしれない…、ほんとは浮かれた理由なんだが、言うのも恥ずかしく焦ってしまった、が、嬉しい偶然だった。
術後は精密検査を終えて…まあ、あとは抗がん剤治療をすることになるわけで。

私の父は、既に末期だったからか、<抗がん剤先に立たず>、などと言って、治療拒否してた(真偽は不明)、ということを風の噂で知ったけど、、私は一般的な治療を受けることにした。

退院の日、病院から一歩出ると、商店街から見上げた空がすっきりと青かった。

入院準備と乳がん手術前日 

入院、となると、皆さん何を持参するのだろうか。ひと昔前なら…、本・雑誌、好きな人や家族、ペットの写真、等か…、いまは、それらはスマホの中で、こと足りるのか。

私にとって入院時はラジオが不可欠なので、ヨドバシに買いに行った。ヘビーリスナーというわけではないけど、寂しいんですよね、病室で一人だと。で、radikoでイヤホン、ではなくて、ラジオ本体のスピーカーから出る音の方が、寂しくないんですよね、音質的に。

本年はコロナ禍だから、身内でも面会禁止で、入院中に必要なものを届けることも許されないらしい。そのうえ、院内に売店ない、ときたら…、そこそこ食い意地はってる私は、おやつ食べたくなって買えない状況を想像すると恐ろしく、切りコンブ、バナナ、みかん、炭酸水、ザクロジュース等を持ちこんだ。

この病院は乳腺、乳がん専門だから、患者さんはほとんど女性。すべて個室で、追加料金なしの病室でもビジホより広いし、小ぎれいで快適で。洗面所に大好きなイラストレーターの福田利之さんの絵ハガキを飾ると、更に快適空間になった。

入院初日、夕食時の食堂で他の患者さんの様子をこそっとうかがってみた。ソーシャル・ディスタンスで会話はなく、黙々と食事してるけれど…、一見してぐったりした様子の人はいない。手術翌日の方でも、しっかり歩けてるかんじがする。病院食は量少な目だけど、十分おいしかったし、上げ膳据え膳なところが、もう、ちょっとした旅行気分だった。VOD付きのテレビで、映画&お笑いライブも見放題だし。

 食後、病室にもどって、明日、手術か…、と思うと、やっぱり、胸の写真、撮りたくなりますよね。
自分の胸ビジュアルで、いい目にあったことが一度もない私ですらも。。

私は、温存手術で胸の再建はしない、ことを選択した。この時点で落ち込むことはあまりなく、夜もまあ眠れた。ひとつ変わったことは、これまで、自撮りとか、料理写真を撮ったことがなかったのに、病気して、やっと自分に興味が持てたのか、上半身(胸の)写真だけじゃなく、夕食の病院食もしっかり撮った。美味しかったのもある。

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